プロ雀士が書いた「運を育てる」は本当に正しい?腹落ちするまで考えてみた

読書ノート

こんにちは。
メーカーで企画・管理系の仕事をしながら、子育てと仕事の両立に悩む30代会社員です。

仕事がうまくいかない日、家族との会話が噛み合わない夜。
あとから「今日は運が悪かったな」とつぶやいて、
どこか自分に言い訳してしまうこと、ありませんか。

「運って、本当に“育てる”ものなんでしょうか?」

この記事では、プロ雀士 土田浩翔さんが書いた『「運」を育てる』を読んで、
この本が「使える一冊」になった読み替え方を一人の会社員の視点で正直に書きます。

『「運」を育てる』はどんな本だったのか

結論から言うと、この本は成功法則の本ではありません。
麻雀プロとして長年勝負の世界に身を置いてきた著者が、
不確実な状況で自分を崩さずに生きるための態度を語った本です。

本書で語られる「運」は、
結果としての「ツイていた・ツイていなかった」ではなく、
行動前にすでに現れている兆しとして描かれます。

朝起きたときの感覚、
風景の見え方、人の動きへの違和感。
そうした微細なサインに気づけるかどうかが、
その日の判断を分ける――という考え方です。

そして著者は一貫して言います。

運を育てるとは、勝つことではない
自制し、姿勢を正し、余計なことをしないことだ

ここまでは、正直かなり共感しました。


それでも残った、どうしても消えない違和感

「全部、内面の未熟さ」に聞こえてしまう理由

読み進めるうちに、私は引っかかりました。

失敗やトラブルが語られるたびに、
結論はほぼ決まってこう締められます。

自分の内面が未熟だった

でも、
・何をどう誤ったのか
・どんな選択肢があったのか
・環境や相手の問題はなかったのか

そうした具体的な説明は、ほとんど出てこない。

これだと、
「次に何を変えればいいのか」が見えません。

行動科学の世界では、
結果をすべて内面に帰属させる思考は
再現性のある学習を妨げると指摘されています。
(ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』などが有名ですね)

この違和感は、
この本を真面目に読もうとしたからこそ生まれたものだと思っています。

次の一歩:
「内面が原因」という言葉を、いったん疑ってみる。


自身の体験をベースに分かった「本当の内面問題」

ここで、少し私自身の話をします。

少し前、義母とのやり取りで強いストレスを感じる出来事がありました。
論理が噛み合わず、感情的な言葉が返ってくる。
それでも「関係を壊したくない」という思いがあり、
つい説明しよう、分かってもらおうとしてしまった。

あとから振り返って、本書の言葉を当てはめると、
確かに「内面が整っていなかった」と言えなくもない。

でも、それは人格の問題ではありませんでした。

・相手は合意形成を目的としていなかった
・私は合理的に話せる前提で向き合っていた
・「正しさ」と「関係維持」を同時にやろうとしていた

つまり問題は、感情ではなく判断目標の不明確さだったのです。

この視点に立つと、
「内面を整える」とは我慢することではなく、
その場で何を目指すかを一つに決めることだと分かります。


この本は読む価値があるのか

結論として、私はこう思っています。

この本は、
・失敗の構造を教えてくれる本ではない
・再現可能な正解をくれる本でもない

その代わり、

自分の失敗を、言語化せずにいられなくなる本です。

「運を育てる」という言葉がしっくりこないなら、
こう言い換えてもいい。

運とは、
判断精度が落ちていることに、どれだけ早く気づけるか。

そう読み替えた瞬間、
この本は精神論ではなく、
30〜40代の会社員にとって実用的な一冊になります。


まとめ

・『「運」を育てる』は成功法則の本ではない
・内面論が強く、納得しづらい部分もある
・ただし、判断が崩れる瞬間を見直す視点は有効
・具体事例に落とし込んで初めて、この本は生きる

深夜ラジオのエンディングみたいですが、
答えは本の中ではなく、たぶんあなたの日常にあります。

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